ロシアの文豪ドストエフスキーに学ぶ「仕事がつらい」本当の理由
ロシアの文豪ドストエフスキーに学ぶ「仕事がつらい」本当の理由を紹介します。
ドストエフスキーは、オムスク監獄で囚人として4年間過ごした経験を、長編小説「死の家の記録」で赤裸々に描かれています。非常に読み進めにくい本書ですが、「仕事がつらい」と感じている人に刺さる部分があります。
第二章「最初の記憶」にある監獄生活での初期の出来事。仕事自体はつらいわけではないのにも関わらず、なぜここの労働がつらい懲役なのかを記してある部分です。
読んでみると、多くの日本人がしている仕事と、ここに記されているつらい懲役と、さほど違わないことが実感できるはずです。
では早速、ロシアの文豪ドストエフスキーに学ぶ「仕事がつらい」本当の理由についてお伝えしますね。
意味と目的がある仕事なら、退屈だとしても辛さは少ない
監獄の中での仕事は、つらい仕事内容というわけではなかったそうです。娑婆にいる百姓の方が労働量は多いし、繁盛期には毎日夜中まで働いている。なので、よほど百姓仕事の方が大変なものだと言われています。
しかし、百姓の仕事は自分の仕事であり、理に適った仕事でもあるから、懲役での仕事とは比べ物にならないほど楽だと言います。なぜならそこには、仕事をする意味と目的があるからです。
無益で無意味な作業ほど、つらい仕事はない
一方で、監獄の中での仕事は、次のような理由だから、懲役と呼ばれるほどのつらい仕事だと言われています。
ここの労働がつらい懲役だという理由は、難しい作業を絶え間なくやらされるからというよりは、むしろそれが強制された義務としての労働であり、棍棒でどやされながら働かされるからなのである。
この言葉を聞いて、自分自身の仕事と関連性は見つけられましたか?見つけられなかったら幸いなのですが、僕はどうしても似ているところがあると思ってしまいます。
会社へ行って、お客さんのためだという名目で命令が下り、必要性も感じず目的に疑問を抱きながらやる仕事。
これと監獄での懲役に、いったいどれほどの違いがあるのでしょうか。自分にとって、意味も目的もない仕事のために会社へ行くなんて、まるで監獄へ通勤しているのと変わりがありませんよね。
続けてドストエフスキーは、こう言います。
もしも一人の人間をすっかり押し潰し、破綻させてやろうというつもりで、どんな残忍な人殺しでも聞いただけで身震いして腰を抜かすような、最高に恐ろしい罰を科すとしたら、ただ単に一から十までまったく無益で無意味な作業を避ければいいのだ。
(中略)
たとえば一つの桶から別の桶に水を移し、その桶からまた元の桶に映すとか、ひたすら砂を槌で叩くとか、一つの場所から別の場所に土の山を移して、また元に戻すといった作業をやらせてみれば、きっと囚人は何日かで世をはかなんで首を吊るか、それともそのような屈辱、恥、苦しみから逃れるためならいっそ死んでもいいと、自棄になって犯罪をし散らかすことだろう。
仕事に意味と目的を見出すには、あらゆることを試すことから
「仕事がつらい」本当の理由は、自分にとって意味も目的もない仕事をやり続けているからだと分かっていただけたかと思います。
僕自身も、ついこの間まで、職場に対して精神的につらい気持ちを抱いていました。たくさんある理由の一つには、「自分でなくてもいい仕事」を任されているからというものがあります。これぞまさに、意味も目的もない仕事と言える最たるものでしょう。
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ただ、もうすでに懲役を受けているような状態を抜け出すことはできています。何をやったのかというと、今までと、ほんの少しだけ違うやり方を試したこと。
「仕事は楽しいかね?」に登場するマックス・エルモア氏が口癖のように言っている「試す」ことを繰り返し行うことで、だんだんと仕事に意味と目的を見出していくことができました。
僕の場合は、業務効率向上、残業時間短縮、労働環境改善などに注目して試すことを続けたおかげで、以前よりも仕事を楽しむことができるようになってきました。
やり方はそれぞれの職場や状況によって違うと思いますが、とにかく仕事に意味と目的を見い出すことが、つらい現状から抜け出す方法です。
あらゆる方法を試して、現状を変えていってくださいね。